ニューヨークのマンハッタンで、政府や裁判所など公共サービスの新古典主義建築の厳かな雰囲気の建物が集積しているのが、シビックセンターとも呼ばれるダウンタウンの、フォーリースクエア(Foley Square) 周辺です。そんな場所柄、フォーリースクエアは、ニューヨークのデモの開催地となることが多いエリアとなっています。フォーリースクエアの広場の中心には、トマスペインパーク (Thomas Paine Park) と呼ばれる憩いの公園がありますが、現在、巨木から作られた、たくさんの球形彫刻のパブリックアートが登場し、面白い光景が広がっています。
ニューヨークのダウンタウンにある、フォーリースクエア (Foley Square) 周辺は、連邦、州、市など様々な政府や裁判所などたくさんの公共サービスが集合しているエリアで、シビックセンター (Civic Center) と呼ばれています。そんなフォーリースクエアに、現在、巨木を生かした面白いパブリックアートが登場しています。
フォーリースクエアの中心にある公園、トマスペインパーク (Thomas Paine Park) は、芝生や木々が広がり、ちょっとした憩いのスペースになっています。そんな公園に現在、13体もの巨大な球状の彫刻が点在しています。
こちらは、ペルー人アーティスト、Jaime Miranda-Bambarén さんの 13 MOONS (Seeds) と題された、種子を彷彿とさせる球状のオブジェ13体からなる作品です。それぞれ独特の風合いがある、面白いアート作品となっています。
トマスペインパーク (Thomas Paine Park) は、トマス・ペイン (Thomas Paine) という人物にちなんで名づけられた公園です。トマス・ペイン (Thomas Paine) は、コモンセンスなどを発行し、アメリカ独立の機運を高めた、18世紀後半のイギリス出身のジャーナリストであり、哲学者、政治活動家でもあった人物です。トマス・ペイン (Thomas Paine) は、ベンジャミン・フランクリンの紹介で、アメリカ独立前、1774年に、フィラデルフィアに移住し、雑誌の編集者として活動していました。アメリカ建国の父とされる当時の中心人物とも友人になり、コモンセンスなどを発行し、独立の機運の高まりのきっかけになりました。その後も、フランス革命などにも関係し、現在の民主主義の礎を築いた理論家であった一方、生粋の反逆児だったともいえる人でした。独立や革命後には、新体制のリーダーと対立することも多く、フランスでは、刑務所に入れられてしまったり、晩年のアメリカでは、フェデラリストに反対し、奴隷制度廃止を訴えたりしていたため、常に多くの敵を作る結果となり、ひっそりと最後を迎えます。こちらの映像では、アメリカ独立に大きな役割を果たしたコモンセンスが分かりやすく解説されています。
トマス・ペインが、晩年、死の直前まで過ごしていたのは、実は、ニューヨークのウエストビレッジの 59 Grove St です。現在は、当時の建物は、残されていませんが、現在の建物に記念碑が刻まれています。こちらの記事で、詳しく紹介されています。
トーマスペインパークには、歴史的な像も飾られています。こちらは、17世紀末、イギリス統治下のニューヨークで市長を務めた、エイブラハム・デ・ペイスター (Abraham de Peyster) 像です。当時のニューヨークの裕福な商人一家で、街の有力者として、市長、裁判官、ニューヨーク地方の長など様々なポストを歴任した人物です。子孫の一人、ジョン・ワッツ・ド・ペイスター (John Watts de Peyster) の依頼により、19世紀後半の著名彫刻家、ジョージ・エドウィン・ビッセル (George Edwin Bissell) が手掛け、1896年に完成した像です。
エイブラハム・デ・ペイスター像は、1896年以来、ボウリンググリーン、ハノーバースクエアなどイギリスと関係の深い、ニューヨークのダウンタウンのスポットを転々として来ましたが、2013年以来、フォーリースクエアのトーマスペインパークに飾られています。
ロウアーマンハッタンは、ニューヨークの中でも最も歴史あるエリアで、17世紀以降、オランダ、イギリスと統治国が変遷していきますが、常に政治や経済の中心となっていました。独立戦争時には、トーマスペインパーク周辺には、悪名高いイギリスの刑務所や留置所が並んでいたそうです。
ロウアーマンハッタンの水の供給を支えたのが、かつてトーマスペインパーク周辺にあった湧き水の池、コレクトポンド (Collect Pond) です。多くの魚が住む、美しい池で、18世紀のニューヨークの憩いのスポットだったようですが、人口増加や開発などにより汚染が進み、コレラの蔓延などにより、19世紀初頭には、現在の Mott St と Grand St の交差点付近にあった、Bayard’s Mount と呼ばれる丘を崩し埋め立てられてしまいました。
(MET)
その後、居住エリアとして開発されますが、地盤に問題があり、建物が傾いたり、蚊が発生したりと居住には適さず、アイルランド系をはじめ様々な国々からの移民が集まる、悪名高いスラム街、ファイブポイント (Five Points) が形成され、危険エリアになっていきます。ファイブポイントは、映画、ギャングズ・オブ・ニューヨーク (Gangs of New York) などに登場しています。
そんな危険エリアをなくすため、19世紀後半に、ニューヨーク市が入手し、再開発したのが、現在のフォーリースクエア周辺です。トーマスペインパークという名称は、1977年に作られ、その後、さらに整備され、2000年にフォーリースクエアの一部となっています。こちらで、詳しく紹介されています。
コレクトポンドの名称は、トーマスペインパークの近くにある公園、コレクトポンドパーク に残されています。
フォーリースクエア周辺には、厳かな雰囲気の新古典主義建築の建物が並んでいます。こちらは、ニューヨークカウンティの最高裁判所 (New York County Supreme Court) です。1919年に建設が始まり、1927年から使用されています。
その右手には、高層の連邦政府の裁判所、Thurgood Marshall United States Courthouse があります。こちらは、1932年に建設がはじまり、1936年から使用されています。
フォーリースクエアの中央には、Triumph of the Human Spirit と題された、Lorenzo Pace の巨大な彫刻があります。近くのアフリカンベリアルグラウンドをはじめ、ロウアーマンハッタンには、数多くの歴史的なスポットがありますが、そんな歴史と進歩を讃える作品です。
アフリカンベリアルグラウンドは、こちらです。
フォーリースクエアには、この他、移民局やFBIなどが入っている、Jacob K. Javits Federal Building などがあります。こちらも、巨大で存在感がありますが、1960年代に建てられた、コンクリートが特徴のブルータリスト建築の建物で、周囲の雰囲気からは、ちょっと違和感がある感じの建物です。
フォーリースクエア Foley Square
Lafayette Street Worth Street, Centre St, New York, NY 10013 地図
フォーリースクエアの南側には、こちらも巨大で存在感のある、ミュニシパルビルディング (The David N. Dinkins Manhattan Municipal Building) があります。1909年に建設がはじまり、1914年にオープンしています。
そして、有名なニューヨークシティホール。フォーリースクエア周辺は、歴史的な建物が色々あって、建築好きの人には、楽しいエリアです。
ニューヨークシティホールの中は、こんな様子になっています。
この他、ダウンタウンには、色々な歴史、建築スポットが点在しています。