アメリカ独立宣言や憲法の制定などの地として知られる、アメリカ建国ゆかりの街、フィラデルフィア (Philadelphia) に 2017年に誕生した新ミュージアムが、アメリカ革命博物館 (Museum of American Revolution) です。
フィラデルフィアといえば、独立記念館(インディペンデンスホール)や、自由の鐘(リバティーベル)など、アメリカ建国の時期の歴史的な遺産がある場所として有名ですが、そんなフィラデルフィアならではのミュージアムとして登場した、アメリカンレボリューション博物館は、独立戦争を中心に、アメリカが誕生した時代のことを、映像や歴史的な遺品などを通し分かりやすく紹介しているミュージアムです。アメリカの初代大統領となった、ジョージ・ワシントンが、アメリカ独立戦争時に使用していたという、ワシントンのテントもアメリカ革命博物館の見どころの一つとなっています。
アメリカ革命博物館 (Museum of American Revolution) は、フィラデルフィアの観光の中心地の近くにあります。世界遺産にもなっている、インディペンデンスホールやリバティーベルのある、インディペンデンス国立歴史公園 (Independence National Historic Park) から、デラウェア川のある東方面に歩いて5分程の場所です。
アメリカ革命博物館は、2017年にオープンした新しい博物館ですが、フィラデルフィアらしい赤レンガの建物で、中は、ネオクラシカルな雰囲気です。
まず、1階のシアターで、15分の映像作品、Revolution を見ていきます。
美しいらせん階段を上っていくと、2階のメインの展示のフロアとなり、イギリス国王、ジョージ3世治世下の1760年頃からの歴史展示がスタートします。1754年から1763年にかけて、ヨーロッパではイギリスとフランスが争っていましたが、その二国の戦いは北米アメリカでも行われました。そんなイギリスとフランスの植民地間の争いが、フレンチ・インディアン戦争です。
イギリスとフランスの争いは、最後イギリスの勝利に終わり、植民地は、イギリス国王、ジョージ3世を意味する GR マークで溢れました。
イギリスは勝利することができましたが、フレンチ・インディアン戦争では莫大な戦費がかかり、その支払いのために、1765年、印紙法 (Stamp Act) を施行し、植民地に印紙税をかけ始めました。このことが、後のアメリカ独立戦争のきっかけとなっていきます。
フレンチ・インディアン戦争後に、イギリスが植民地に対してかけてきた税金は、印紙法にはじまり、その後、様々な関税が課されていきます。そんなことが続けば、植民地の人々も黙ってはいません。税金を払っていたら、植民地側も代表を一人、英国議会へ送る権利があるのですが、当時許されておらず、1689年に制定された権利章典に反する行為だとして、「代表なくして課税なし」 (No Taxation Without Representation) という、アメリカ独立戦争のスローガンのひとつとなる反発が起こります。
ボストンのような貿易港となっていた大都市は、当時、特に革命派が盛んだったようで、そんな港街、ボストンの展示です。ボストンの中心にある広場、ボストンコモン周辺にあった、巨大な木は、革命派の人々の集会所となっていたとされ Liberty Tree と呼ばれていました。
1765年以降、植民地の人々に対して、関税など様々な税金が課されていったことにより、植民地側の反発は高まっていき、1770年のボストン虐殺、1773年のボストン茶会事件などが起きます。そしてついに、1775年には、独立戦争の緒戦となるレキシントン・コンコードの戦い、そしてバンカーヒルの戦いが、ボストン近郊で勃発します。バージニア州のパトリック・ヘンリーの名言、”Give me Liberty, Or give me Death.” (自由を与えよ、さもなくば死を)が生まれたのもこの頃で、植民地13州の連携が高まり、アメリカ独立の機運が高まります。
普段、お互いに、いがみ合ってばかりいる異なる州の人々が、このときは驚くほど団結していた、というワシントンの言葉が紹介されています。
そして、そんなアメリカの独立の機運を形にした、アメリカ独立宣言がいよいよ生まれます。
イギリスと植民地の間の抗争を、啓蒙思想的に美しく合理的に正当化したのが、バージニア州のトーマス・ジェファーソンを中心とした、マサチューセッツ州のジョン・アダムス、ペンシルバニア州のベンジャミン・フランクリンら5人による委員会が作成した「アメリカ独立宣言」です。
「アメリカ独立宣言」は、1976年7月4日に大陸会議で承認されました。その日をアメリカ誕生の日とし、現在でも 7/4 を「アメリカ独立記念日」としてお祝いしています。独立宣言の内容が書かれた当時の新聞 (Pennsylvania Evening Post – July 6, 1776) などが展示されています。
ギャラリーでは、所々で、様々な映像作品も上映されています。こちらは、アメリカ独立運動時代に活躍した女性たちをテーマとした映像作品のコーナーで、第2代大統領となるジョン・アダムスの妻だった Abigail Adams さんなどが紹介されていました。
ニューヨークに1770年に建てられたという、イギリス国王ジョージ3世の像は、独立宣言発表後、間もなく1976年7月9日に取り壊され、シンボル的なイベントとなったようです。
ところで、そのイギリス国王ジョージ3世騎馬像があった場所というのは、ニューヨークの意外とよく知っている、今も広場となっているところにあります。
ニューヨークのダウンタウンのボーリンググリーン (Bowling Green) にある広場で、現在、国立アメリカンインディアン博物館 となっている、かつての USカスタムハウス前の広場です。
戦争開始後初期は、世界最強の軍隊を擁していたイギリスが圧倒的に優位を誇り、ワシントンの率いるアメリカ軍は、ニューヨークを失い、敗戦を重ね、デラウェア川の西側まで撤退します。そんな配色濃厚な状況下、転機となったのが、ニュージャージー州のトレントンとプリンストンでの戦いでした。
アメリカ独立は、アメリカの植民地社会で中心となっていたヨーロッパ系の白人男性の視点から語られることが多いですが、先住民や黒人などにも大きな影響を与えました。ニューヨークのアップステートなど五大湖周辺で暮らしていた Iroquois のグループの多くは、イギリス側につきましたが、革命派についたグループ、Oneida もあったようです。そんなグループを紹介するギャラリーもあります。先住民も黒人もどちらも自由を掲げた独立戦争の終了後に、悲惨な歴史を辿ることになります。
当時の戦いの様子を体験できるコーナーもあります。1777年、大陸軍が大敗を喫した、ペンシルバニア州で起こった、ブランディワインの戦い (Battle of Brandywine) を舞台にし、戦火の中、まるで自分がそこにいるような迫力を感じることができます。この戦いの後、イギリス軍により当時の首都だったフィラデルフィアが陥落します。
アメリカは、当時、海軍がほぼいない状態だったので、代わりに、民間船がイギリス船への攻撃に加わっていたそうです。そんな当時の民間船が再現されたものも展示されています。
独立戦争の表舞台の功労者は、軍隊を率いた、ジョージ・ワシントンですが、影の功労者が、フィラデルフィアで活躍した、ベンジャミン・フランクリンです。
独立宣言後、ベンジャミン・フランクリンは、アメリカの大使としてフランスに赴き、説得に当たっていました。1977年、ニューヨークのアップステートでのサラトガの戦いで、大陸軍が大勝したことを契機に、1978年には、ついにフランスがアメリカ側で参戦することになります。
ジョージ・ワシントン率いる大陸軍は体制を立て直し、フランスが参戦し、戦いの形勢が変わります。1778年頃には、戦いの中心は、アメリカ北東部からチャールストンやサバナなどアメリカ南部へと移っていきます。こちらでも、1780年には、フランスと共闘したアメリカ大陸軍が、チャールストンを奪還するなど優勢に戦いを進めて行きます。
アメリカ南部は、王党派が多かったようで、植民地側の中でも、イギリス側で戦ったグループもいたようです。そんなグループの迫力ある姿、Tarleton’s Loyalists Dragoons も展示されています。
アメリカの勝利の大きな要因は、イギリスのライバル国だった、フランス、そして後に、スペイン、オランダとも同盟を組むことができたことです。
1781年に、バージニア州のヨークタウンの戦いでのアメリカが勝利し、実質上、独立戦争は終了します。最終的には、1783年のパリ条約により、アメリカの独立が、イギリスにも認められることになります。
ルイ16世の絶対王政下のフランスは、アメリカの独立に大きく貢献しましたが、1789年には、フランス革命が勃発し、処刑されることになったのは、皮肉な歴史でもあります。
独立戦争に勝利し、イギリスから独立を果たしたアメリカですが、その方向性を巡って、様々な意見がありました。そんな時期、1876年から1787年にかけて、マサチューセッツ州の内陸部で起こった反乱が、シェイズの反乱 (Shays’ Rebellion) です。原因は、再び税金問題で、沿岸部の豊かな商人たちと、税金が払えない内陸部の貧しい農民たちの対立がもとで、アメリカの新憲法制定にも影響を与えた事件でした。
最後は、独立戦争で戦った人々の写真がずらりと並んでいます。
アメリカ革命博物館の目玉となっている、ジョージ・ワシントンのテント (George Washington’s tent) は、ギャラリーの中にはありません。実は、シアターの中にあります。2階に劇場があり、10分程の映像作品の最後に、ワシントンが、独立戦争指揮時に使用していたとされるテント、WASHINGTON’S WAR TENT (George Washington’s Headquarters Tent) が登場します。
1階には、ミュージアムショップがあり、フィラデルフィアらしいグッズが揃っています。
また、1階には、ニューヨークに縁が深く、建国の父の一人で、ジョージ・ワシントンに信頼され、初代財務長官を務めたアレキサンダー・ハミルトンと、アーロン・バー (Aaron Burr) の決闘シーンの彫刻があります。ハドソン川岸、ニュージャージー州側の Weehawken で行われた決闘で、この結果、ハミルトンは、亡くなることとなります。
アレキサンダー・ハミルトンは、人気ブロードウェイミュージカルのハミルトンですっかり有名になっています。
アメリカ革命博物館は、見学所要時間が大体1時間半から2時間程で、全体を見て回ることができます。歴史好きにおすすめのミュージアムです。
フィラデルフィアの観光パス を利用できます。
アメリカ革命博物館 Museum of American Revolution
101 S 3rd St, Philadelphia, PA 19106 地図
世界遺産にもなっているアメリカ独立期の歴史的遺産、インディペンデンスホールや、リバティーベルも近くにあります。